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『もしかしたらズボンのチャックが開いているかもしれない症候群』になってしまった的な話

男性なら誰でも1度はあるのではないでしょうか?

『ズボンのチャックが開いていた問題』

一昔前は、ズボンのチャックは『社会の窓』と呼ばれており、「なにが社会の窓なの?」と疑問に思った方も多いのではないでしょうか。

家で着替える時、しっかりとチャックを閉めたことを確認したにもかかわらず、出先でトイレにいくなど、ズボンのチャックを閉め忘れてしまうリスクはズボンを履いている限り容赦なく自身に襲いかかってきます。

数日前、私は娘ちゃんと買い物に行きました。

雑談をしながら2人でお店までの道中、楽しく歩いていました。

その時は、たまたま音楽の話をしており、私は娘ちゃんが知らないであろう音楽に関する「ウンチク」を得意げに語っていました。これは客観的にみると「調子に乗ったおじさん」以外の何者でもなく、昭和平成令和と生き抜いた「おっさん」の証。

お店に到着する直前、私は「なんとも言えない衝動」にかられ、自分の股間をズボンの上から触りました。

「やばい、チャックが開いていた」

後頭部を鈍器のような物で殴られたような衝撃が私の中を駆け巡りました。

自宅から買い物をするお店まで、徒歩で5分程度の道のりです。その間、ズボンのチャックは全開で、しかも得意げにウンチクを語りながら娘ちゃんと歩いていたことになります。チャックが全開の状態で。

人間とは愚かなもので、調子の乗って語ったり、自分の経験談など、得意げに話すことは一般的には「嫌われる」存在です。それだけならまだしも、「陰部」に直接アクセスできる機能を兼ね備えたズボンのチャックが全開です。即韻部にアクセス可能。そういった状態で、公然とかつ平然と、娘ちゃんと公(おおやけ)の公道を、さも勇しく、何事もなかったかのようにおっさんが歩いているのです。それも、ちょっと得意げに物事を語りながら。

これほど恐ろしいことが、他にあるでしょうか。

その事件があってから私は、常に「ズボンのチャックが開いているのではないか?」と、自分自身が信用できず、気がつくとチャックが開いていないか、確認するために股間を触りながら歩くようになってしまいました。

もしも、私が思い悩み、それ相応の病院にいくとすると、診断結果は

『もしかしたらズボンのチャックが開いているかもしれない症候群』

と、病名をつけられることでしょう。

実際、病院には行ってませんし、今後もいく予定はないので、そのような病名をつけられるか、そもそもそんな病名があるのか、今の私にはわかりません。もしかすると、私を同じような症状の方が、もうすでに病院に行き診断され、病を克服しているのかもしれません。

ズボンのチャックを全開にしてあるく、股間に手を当てながら歩く、このどちらが「より恥ずかしくないか」は、今の私にはわかりません。「チャック」は商標登録名であり「ファスナー」と呼ばなければならないことも、この問題を複雑化している要因ではないでしょうか。ズボンを履くものに与えられた試練なのでしょうか。

私はこれからもこの問題と戦い続けます。

これは人類に課せられた永遠のテーマだから。

以上、ぬむめでした。

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ぬむめ