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コンビニで前の人が開けたドアに入ろうとしてはさまった的な話

コンビニで前の人が開けたドアに入ろうとしてドアにはさまってしまった。

私には2つの選択肢があった。恥ずかしいのでそのまま帰る。そのままなにもなかったように買い物を済ませる。この2つである。

実際、私は後者を選んだ。私がドアにはさまった瞬間、レジの人に目撃されていた。思いっきり目が合った。私の戦闘力、いや運動力であれば、閉まるドアをすり抜けるなど他愛もないことだと思っていた。スッと閉まりゆくドアをすり抜ける私。頭の中のイメージはバッチリだった。しかしながら、現実は頑丈なドアと頑丈で大きなドアノブが私に襲いかかった。

コンビニのドアはとても頑丈である。小さな子供では開けることができないこともあるだろう。おそらく、強風などで開かないために丈夫にできているのだろう。私のように、人がはさまることを想定していない作りだ。はさまった感想としては、とても痛い。おそらく、クジラやカバに食べられるとこんな感じなのだろう。食べられたら普通人間は死ぬだろうが、コンビニのドアも威力は同等のものと考えられる。

はさまるだけなら肉体的な痛みだけで済む。怪我の具合にもよるが、傷は時が経てば直るものだ。しかしながら、「コンビニのドアにはさまった」という精神的屈辱は消えることはなし、その事実を目撃したものにとって私は「コンビニのドアにはさまったおっさん」以外のなにものでもない。肉体の痛みと同時に、私の精神にも計り知れないダメージを与えた。胸と背中に強い痛みを感じ、倒れそうな痛みを堪えながらも叫ぶことができない。そんな過酷な状況が現代にあるだろうか。

痛みを堪えながら買い物をする私。「イテテテ」なんて小さな声をだす私。だが心中は、あー恥ずかし恥ずかしい超恥ずかしい、そんな感情が私を支配する。これは日々傲慢な私への罰なのだろうか。そもそも、自動ドアじゃないのがいけないのではないか?あんな重たいドアに人がはさまったらどうするんだ?そんなことを考えながらはさまった。

おそらく、自動ドアだったとしても同じ結果だったかもしれない。ダンジョンでトゲトゲがついた扉だったとしても同じ結果だったのだろう。私がマリオだったら即死だった。私は10万点で肉体が1機増えるような存在ではない。命があるだけよかったと考えるべきなのだろうか。住みにくい世の中になったものだ。

今度からはドアが閉じてから自分で開けよう。

以上、ぬむめでした。

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ぬむめ