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私が小さい頃に極めることができなかった的な話

私は小さい頃、どうしても極めたい技がありました。

それは『真剣白刃取り(しんけんしらはどり)』です。

敵が自分の頭上目掛けて振り下ろす剣を、両手で蚊を叩くがごとく、パーンと刀を受け取る技です。

小学校の頃、友達とソフトビニールの柔らかい剣のおもちゃで何度も練習しました。頭に剣が直撃したり、実際の剣だったら手が見事に切れてなくなっていたであろう、時代劇のようには全く出来ませんでした。

現代社会に生きていると、正面から、それも頭を狙って剣で襲われることは皆無です。ですが、もしもそのような事態に陥った時に、確実に身を守る方法は「真剣白刃取り」しかありません。

幸いなことに、もう「おじさん」と呼ばれる年齢になりましたが、いままで生きてきて剣で襲われたことはありません。そしてこれからもでしょう。ですが、こんな世の中です。「真剣白刃取り」ができて困ることは一切ありません。

なぜ、私は幼い頃、「真剣白刃取り」を習得できなかったのでしょうか。

私が大人になって、いくつか気がついたことがあります。おそらく、それらのことが習得できなかった原因でしょう。

まず、1つめが、「真剣白刃取り」の「真剣」を、誠実さを意味する「真剣」と勘違いしていたことが原因かもしれません。漢字は一緒ですが、意味合いが少し違います。

「真剣」には2つの意味があります。

・本物の剣

・本気(「真剣に考える」などに用いられる)

小さい頃の私は、「真剣白刃取り」の意味を、本物の剣とは受け止めておらず、超真面目に一生懸命やることだと思っていました。それこそ「真剣に真剣を受け止める」と解釈していたといえます。これでは、頭が真っ二つに斬られてしまっても当然です。

そして、2つ目が、「真剣白刃取り」の「白刃取り」を「白羽鳥」だと勘違いしていたことです。白い羽といえば「白鳥」です。私は白鳥のように優雅に、そして華麗に剣を受け止めようとしていました。優雅に剣を受け止めれるわけはなく、やはり頭は真っ二つです。

これら私の勘違いから、「真剣白刃取り」を会得できるわけはなく、真剣に白鳥のように剣を受け止めようとし、偽物の剣とはいえど、何度も何度も頭を割られていたわけです。

今は大人(おっさん)になったので、言葉の意味など、幼い頃に比べ少しは理解できるようになりました。ですが、意味がわかったところで「できないものはできない」という厳しい現実も知ることができました。

これからも、私は「真剣白刃取り」を会得することは一生ないでしょう。ですが、これから会得しようとしている方は、私のような間違いをしてほしくはありません。そう思い、文章として残しておきます。

以上、ぬむめでした。

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ぬむめ