スポンサーリンク

「いかがでしたか?」が封印されている世の中でもまだ使われている的な話

いつからなのかわかりませんが、大抵のブログは最後のみだしに「まとめ」などで締めくくられています。ホームページ黎明期のころには、そのような風習はありませんでした。

「まとめ文化」これは私の推測なのですが、SEOという言葉がでてきて、アフィリエイトが流行りだした頃から頻繁に使われるようになったのではないでしょうか?そして「いかがでしたか?」も。

記事構成のテンプレ化

記事は見てもらわなければ意味がありません。

リード文に始まり、本題、要点、まとめ、のような流れで書かれているページがほとんどですね、私もそのように書いたりします。最初から最後まで読んでくれていればいいなと願いつつ、要点を「まとめ」で書くスタイルは、もはや定番のテンプレです。

そんな中、「いかかでしたか?」文化について、みなさんはどのようにお考えでしょうか?

数年前、某大手がばくりリライト記事を大量に量産する手法が問題となりました。いわゆる「トレンドブログ」というのでしょうか。

そのような記事に「いかがでしたか?」と、お約束のように書かれているため、そのようなブログを

「いかがでしたかブログ」

と、呼ばれています。

いわゆる「いかがでしたブログ」は内容が薄いのと、リライト記事(元記事を書き直した)であるため、最後に「いかがでしたか?」と締めくくれているだけで、「あ~、リライト記事か、時間のムダだった」と思う方も多いのではないでしょうか。

「いかがでしたか?」は今だ生まれ続けている

以前、何かのサイトで「いかがでしたか?フィルタ」なる機能があるのを見た覚えがあります。これは「いかがでしたか?」と書かれているページを検索から除外する機能でした。それほどまでに「いかがでした?」は忌み嫌われる言葉となり、リライト記事と自ら宣伝するような言い回しとなりました。

ですが、今だに「いかがでしたか?」は使われており、数年前の問題で話題となった低賃金(1文字0.1円以下など)でライターさんが量産しているのか、それとも知らないで使っているのか、書いた人が本当に心の底から「いかがでしたか?」と思っているのか、「いかがでしたか?」の根絶はほど遠い物です。

「まとめ」についてもそうですが、なぜこんなにも世間に浸透したのでしょうか。もちろん、最後にまとめられているのは親切ですし、わかりやすい側面もあります。「いかがでしたかブログ」の中には有益な情報もあり、「まとめサイト」も便利です。ですが、1,000程度で「まとめ」は必要だと私は思いませんし、数行、数文字で書かれた「まとめ」であれば、それが記事の本体であり、まとめの記載が少ない場合には、記事内容の薄さを自ら提示していることになります。「いかがでしたか?」も同様に、自らリライト記事ということを宣言しているとしか思えません。

1次ソースがすべてではありません。リライトでさまざまな角度から物事を見ることは新たな発見があるものです。決してリライト記事を否定するつもりはありません。でも「いかがでしたか?」と最後につけなければダメなのですかね?

まとめ

いかがでしたか?

以上、ぬむめでした。

Blog
スポンサーリンク
ぬむめ