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自分以外に価値がないもの的な話

数年前、空前絶後の断捨離ブームにより、身の回りの物を処分した方も多いのではないでしょうか。今なお続くコロナ禍により、家に居る時間が長くなったことから、表名ブランド品のバッグやアクセサリーなど、メルカリやリサイクルショップに持ち込む人が増えたという話題を耳にします。

ブランド品などのほとんどは、資産価値が下がっていきます。型が古くなったり、流行による物だったり、クラシカルな骨董アイテムや限定商品など、値段が上がる物はごく一部。ほとんどの品は価値が下がっていきます。バッグなどの生活用品であれば、なおさらのこと。使用する傷や摩耗など、価値を下げる要因はたくさんあります。価値が下がっていく前に売却するのは、とても賢い選択ですね。

数年前になりますが、私も不要な物を処分してきました。ブランド品だけではなく、趣味の楽器や仕事で使うPC周りなど、可能な限り物を減らすように、ヤフオクやメルカリ、大きな物はリサイクルショップなどへ。今では、私個人の荷物は高校を卒業して遠方の大学に入学する学生さんよりも、荷物の量は少ないかもしれません。

資産的な価値のある有価証券を除く「物」の場合、私は高価な物を持っていないことに、ふと気がつきました。

仕事に関する物は却すると、ソコソコな値段で売れますが、売ると死んでしまいます。それ以外の、個人の物は一切ありません。物を持ちたくない気持ちから、それほど物欲がなくなってしまったのかもしれません。

ですが、大切な物はいくつかあります。娘ちゃんからもらった物や、大切な人からもらった手紙や写真など。私が死ぬまで持っている品々ですが、私が死んだ後は誰の物だかわからない、ゴミ箱行きの品々です。私には価値がありますが、知らない人にしてみればゴミ以外の何ものでもありません。物の価値とは、いったい何なんですかね。

生前、私の父が持っていたアルバムがあります。現在も私が所有していますが、写真を見ると、私の父や親族以外、誰だかわからないものが大半。父にとっては大切な写真だったのでしょう。私には、父や親族以外の知らない方々の写真はゴミも同然です。物の価値とは、所有者本人が決める物なのはわかります。自分以外の誰かに渡った時に、価値がゼロになるというのは、虚しいを通り越して怖い感じがします。

私も大人ですので、物の金銭的価値や個人の価値観など、少なからずわかっていると思います。ですが、あらためて自分以外に価値のないものについて、考えてみようと思っております。

以上、ぬむめでした。

雑記
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