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白米が身体に悪いというけどさ的な話

秋は本当に食べ物がおいしく感じられる。旬の食材が山ほどあるのだから当たり前。私が住む北海道も、秋は食材の宝庫であり、おいしそうな食材がスーパーに並ぶ。まさに「味覚の秋」にふさわしい。

おいしい物をおいしく食べることができない。そんな、意味のわからない言葉も、健康志向の高まりやスマホなどで簡単に情報を手に入れることができる世の中では、いわゆる「身体に悪い」食材があらわになってきた。

その中でも「お米が身体に悪い」という話には、正直な話、驚きしかない。

戦後、日本で散々食べてきて、まさに日本の主食である「お米」。これが身体に悪いなんて聞いた日には、「今までの日本は何だったのか?」と思ってしまう。

炭水化物や糖分などが多いことが、お米が身体に悪いとされる原因なのだろう。少量であれば問題ないという。日常食べる白米を食べ過ぎなければ良い、そんな話も聞く。白米が好きな人は多いのではないだろうか。特に年配世代。私も白米が大好きで、置かずになる品があれば、何杯でも食べられる。お米単体で食べると、それほどおいしいと感じないが、おかずとセットになるとポテンシャルを発揮する白米が大好きだ。

ニュースか何かで、寿司を食べるにに、ごはんの部分だけ残すという話題を耳にした。私には考えられないことであり、もったいないという気持ちよりも、残念な気持ちになる。寿司で白米がない状態では刺身とおなじ。私はお酒を飲まないが、お酒の席でお刺身は定番メニューであるし、食卓でおかずとして刺身は、ごくありふれたメニューだ。

でも、よく考えると、いや、よく考えなくとも、お刺身は生魚である。今でこそ世界中で愛されている寿司も、基本は生魚。日本以外だと生魚は食されることが少なく、大抵は加熱する。お刺身は、原始的な食べ物であり、オットセイやアザラシなど、生魚を食べる動物に近い。生で食べることが野蛮と認識される西洋文化では、御法度の行為である。

しかしながら、日本では、醤油をかけ、ご飯に乗せることで、日本を代表する料理になった。ご飯がなければ、トドやペンギンと同じ原始的な食事だ。ご飯があるから、醤油があるから、料理として成立している。やはり、ご飯は偉大なのだ。

日本では、パンも市民権を得ているが、ご飯を食べる人口の比ではない。食べ過ぎが良くないとわかっていても、白米が身体に悪いというのは納得がいかない。否定するわけではないが、悲しい気持ちになる。おなかいっぱい白米を食べて寿命が短い人生と、塩分や糖分を制限しながら食べ長生きする人生、どちらが幸せなのだろうか。

こんなことを、カップラーメンを食べながら考えた。

以上、ぬむめでした。

雑記
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