暑い日が続くと、人類はプリンを無性に食べたくなるもの。
私も例外ではなく、焼け付く日差しの中、コンビニまでプリンを買いに行くことにした。
いつもはプリンを買い置きしても、私がプリンを食べることは皆無だ。「腐りそうだったから」という謎の言い訳で、ママちゃんや娘ちゃんに食べられてしまう。冷蔵庫の中に安全な場所など、どこにもない。
普段、いつも行っているコンビニではなく、少し離れたコンビニに行ってみることに。
デザートコーナーに行き、数種類あるプリンの中から、プリンの上に生クリームがトッピングされている商品が目に付いた。これは暑い日に食べるプリンとしては最適だろう。私はプリンを持ってレジへ進んだ。
コンビニの店員さんが、プリンを手に取り、バーコードを読み取る。
店員さんが、私に向かってこう言った。
「プリンは温めますか?」
一瞬、時がとまった。
いや、私の時間だけが止まったのだろうか。私は店員さんが何を言っているのか理解できなかった。
もしかして、私は間違って『おにぎり』を手に取ったのだろうか。いや、間違いない。私がレジに持っていったのは間違いなくプリンだ。
私がしらないだけかもしれないが、今のプリンは暖めるものなのか?そんなはずはない、確かにプリンは卵を原材料に使っているので、暖めても食べられなくなることはなく、熱にも耐えられるはずだ。しかしながら、私が購入しようとしているプリンは、上部に生クリームが乗っている。加熱に耐えられるのだろうか。
ありとあらゆる可能性を考え、様々な考察をした。私の中では数分、数時間、という時間が流れたようだったが、実際には2〜3秒程度の時間だったようだ。
さまざななことを考えながら、私はひとつの結論を導きだした。
私は店員さんに、こう言った。
「大丈夫です」
この回答は、ひとつの賭けだった。
もしも私が「暖めなくて大丈夫です」と行った場合、家に帰ってからプリンを温めるのかと、店員さん思われてしまう可能性がある。プリンを温めることが現代のスタンダードであるのであれば、それは間違っていない回答だろう。だが、もしプリンを温める行為がプリンの組織を破壊し、別の物体へと進化させるのであれば、それはプリンへの冒涜以外の何物でもない。
本来であれば「結構です」と、強く拒否するべきであろう。それは『プリンは温めるものではない』という宣言に等しい。だが、人間とは愚かなものである。自分の想像を超えるものは理解しがたい。もしかすると、プリンは温めること、さらに美味しくなるのかもしれない。あからさまに拒否する行為は、加熱に対しての否定であり、新しく何かに挑戦する意欲すらないということだ。ここがアメリカならば「腰抜け野郎」と言われてもしかたがないことだ。
「大丈夫」この回答が正解だったのかは、今もわからない。会話には、さまざまな選択肢がある。どの言葉を選ぶかで物事は大きく変わると私は考えている。様々な場面で選択を迫られるのが人生だ。大丈夫と言った私に、これからどんな出来事が待ち受けているのかはわからない。
生まれてから1度もシーチキンマヨネーズを食べたことがない人を私は哀れむ。おそらく20世紀最大の発見だろう。もしかすると、私と同じように、店員さんは私のことを哀れんだのかもしれない。
だが、ひとつだけ言えることがある。
私は暑い日に、冷たいプリンが食べたかったのだ。
プリンおいしいな。
以上、ぬむめでした。