私は1度だけ、人前で「霊感がある」という嘘をついたことがある。
この話は、20年ほど前のできごと。
私は出張のため、道内の南方の町に3泊することになった。急な出張だったため、宿をとっておらず、寝るだけなので格安のビジネスホテルかラブホテルにでも泊まるか、まだそれほど寒くない時期だったため、風呂だけ温泉でも入って車で寝るのもいいかもと考えていた。広い道内を車で移動するには、いつでも寝れるように毛布などを積んでおくと、いろいろはかどる。
出張での仕事が終わり、ビジネスホテルを探すため現場を出ると、同業者の先輩が「泊まるところは決まっているのかい?」と声をかけてきた。これから探すところだと言うと、先輩が泊まっている旅館を紹介してくれることになった。
初めて来る場所だったため、私にとって悪い話ではない。先輩の話によると、紹介してくれる先輩が泊まる旅館は、1泊3千円で格安だという。私はイヤな予感がした。
その後、先輩の車の後ろを走りながら、旅館に到着した。私は驚愕した。これはお金を取る宿泊施設なのか?あまりのボロさに目を疑った。昭和初期に建てたれたであろう木造の民家風で、レトロ感を出す狙った作りではなく、あからさまにボロ屋だ。
もしかすると、外装はボロいが、きっと内装は綺麗に違いない。そう願いつつ、フロントへ向かう。
中へ入ると、完全に民家だった。いや、ボロい民家だった。フロントというのだろうか、入り口を入ったすぐの壁に小窓がついており、そこが受付のようだ。
もうイヤな予感しかしない。ここに3泊するのはキツすぎる。私はなんとか断る口実を考えつつ、時間稼ぎのため「部屋を見せてくれますか?」と聞いてみた。受付が終わってしまえば泊まらなければならない。その前に部屋を見ておきたかった。先輩の泊まっている部屋にお邪魔し、部屋の様子を見せてもらうことになった。
部屋に入ると、一番最初に目についたのが、壁に掛かった天狗のお面。テレビや時代劇でみたことはあったが、実物を見るのはこれがはじめて。キモい、あまりにもキモすぎる。歌舞伎や時代劇などをモチーフにしたデザイナーズの部屋であればまだいいのだが、そういった装飾は何もなし。なぜそこに天狗のお面をかける必要があったのか、旅館のオーナーに問いただしたい思いだった。
部屋は、古い民家そのもので6畳ほど広さだった。天狗のお面にも驚いたが、もっと驚いたのが壁。謎の黒い生物が壁の下から上に2〜3匹動き回っている。明らかに昆虫だ。私が住む北海道には、基本的にゴキブリはいない。ゴキブリではない何かが、壁を動き回っている。天狗のお面だけならまだしも、虫と部屋をともにするのは難しい。
反射的に私は、
「汚いっすね、ムリっすこんな所に泊まるのは」
と、言いそうになった。
しかし、そんなことを言えるわけがない。先輩はここに泊まるのだ。さすがにそんなことは言えない。先輩の顔に泥をようなまね、そして明日からの仕事を考えると絶対にできない。
なんとか、穏便に断る方法はないだろうか。私は頭をフル回転させた。
そのとき、先ほどは2〜3匹だった壁を這う虫が10匹程度に増えていた。私が虫が大の苦手だ。思わず身体が震えた。
「どうした?震えて」
先輩が震える私をみて言った。この人には、虫が見えていないのだろうか?
私はこのチャンスを見逃さなかった。すかさず私はこう言った。
私 「実は私、霊感があるんですよ。前にも先輩に話しませんでしたっけ?」
先輩 「そういえば、そんなこと言ってたな」
実は、そんな話は1度もしていないし、そもそも私に霊感なんてない。
私 「おそらく、あの天狗のお面が関係していると思うのですが、強い霊気を感じます」
先輩 「おお、本当か?」
私 「本当です。ですが安心してください。先輩は血液型A型ですよね?」
先輩 「おう、そうだ。そういえば前に話したことあったな」
私 「この霊気は、どうやら血液型がA型意外に人間に反応するみたいです。もしかして、ここのオーナーも血液型はA型なのではないですかね。それがなぜなのか、私にもわかりません」
そんなこと、わかるわけがない。嘘なのだから。
私の身体の震え、そして迫真の演技から、先輩は他に宿を探すよう勧めてくれた。
急いで民宿をあとにし、ビジネスホテルを探すが、隣町にいかなければホテルがないことがわかった。隣町とはいっても車で30分以上かかる。疲れているので車で寝ることにした。
翌日、現場で先輩に会った。
「よう、霊感にいちゃん」
それから出張が終わるまでの間、私の名前は「霊感にいちゃん」になった。
以上、ぬむめでした。